「こんな若くからリウマチになるなんて」山本祐子 24歳
2004年1月20日
H11年(1999年)当時20歳
私は、この頃から指に痛みを感じていました。11月頃から、仕事に行く前と仕事が終わった後に、毎日、整骨院に通っていました。始めは、左の小指と親指が痛かったのですが・・・
私は、冬にスノーボードをしてこけた時に、右手にけがをしました。すごく腫れて痛かったので、ずっと通っていた整骨院で診てもらったのですが、初めはすごく痛くて疼いていました。その時に、ちゃんとした病院で、レントゲンを撮ってもらうべきでした。だけど、何時の間にか痛みも腫れもなくなり、治ったと思ってました。
H12年(2000年)当時21歳
でもある時、また右の手首が腫れだしました。その時、手首がなくなるまて腫れました。心配になり、整形外科に行って、レントゲンを撮ってもらったのですが、「骨には、異常はありません。」と言われました。
次に、家の近くの大きな病院に行って、レントゲンを撮ったのですが、そこでもまた、「骨に、異常はありません。」と言われました。誰が見てもすごく腫れているのに、病院の先生は、「骨に異常がないので、大丈夫です。」と言って、診察を終わろうとします。「血液検査をして下さい。」と言うと、「そんな事をしても、意味ないですよ。」と言われました。
だけど、私は、5歳の頃、左の足首が腫れて歩けなかった時に、その病院で、検査を受けた事がありました。その時も、レントゲンでは結果が出なくて、血液検査をした所、「関節しはん炎?」とわかりました。その時のことを先生に話して、血液検査をすることになったのですが、結果は、異常がありませんでした。先生に、「ほら、見てごらんなさい。そんな事をしても、意味ないでしょ。」「1週間分の薬を出しておくので、それでも痛かったり、腫れているんであれば、また病院に来て下さい。」と言われました。すごく腹が立ちました。「そんな言い方があるかなあ〜!」って、すごく悔しかったです。
私は、結果がわからないまま、どうしていいのか不安でした。
H13年(2001年)当時22歳
もう一度、大きな病院で検査を受けようと思って、大学病院に行きました。私は、そこで初めて、原因が分かりました。「あなたは、リウマチの傾向があります。」と言われました。そして「まだ初期なので、薬を飲んで、様子を見ましょう。」
この頃の私は、「リウマチ」という病気が、どんだけ恐い病気かという事を、全然知りませんでした。この頃飲んでいた薬は、ボルタレンSRカプセル、セルベックカプセル(胃腸薬)50mg、メタルカプターゼ(抗リウマチ薬)100、ピドキサール錠(ビタミンB6剤)10mg、と4種類飲んでいました。
この頃、先生には「あなたの病気は、治らない。あなたの体の一部として、ずっと一緒に生活していかないといけません。」と言われました。私は、どうしたら少しでも良くなるのか、先生に聞くのですが、「そんな事しても、意味がない・・・・・」など、私の言う言葉に対して、ちゃんと答えてくれる事はなかった。私は、病院に行くのも、すごくストレスが溜まり、泣く毎日でした。本当につらかったです。何も分からない事ばっかりだから聞いているのに、治せるわけでもないのに、偉そうに言ってきたり、泣いている私を見て、バカにしたり、本当に腹が立ちました。
リウマチの検査結果も、良くなるどころか悪くなって、薬の数も増えました。前飲んでいた薬プラス、プレドニン錠5mgを飲むことになりました。昔からほとんど薬を飲んだことがない私にとって、この頃、毎日5種類の薬を飲む事が、すごく恐くなってきました。だけど、これまで薬を飲む事がなく健康だった私は、今飲んでいる薬がどういうものか、あまりよくわからず、飲んでました。病院から出されている薬だから、安心だろうって、思ってました。
だけど、良くなる事もなく、右の手首の腫れもまだひかず、このままでいいのだろうかって、すごく悩みました。
H14年(2002年)当時23歳
2月まで、大学病院に通っていましたが(約1年ほど)、本当にこの病院の先生には、最初から最後まで、ひどい言葉を言われました。「あなたみたいな患者は、近くの病院で、処方箋だけもらって、2ヶ月に1度だけ、病院(大学病院)に通いなさい。」この言葉を言われた時は、殴りたくなるくらい、大きな声で叫びたくなるくらい、本当に、本当に腹が立ち、このときの気持ちは、今でも忘れません。どこの病院に行っても、こんな先生ばかりで、毎日ストレスが溜まるばかりでした。
病院に行くのを止めてから、色んな人に、どっかいい所はないか、聞きました。そんな時に、親戚のおばちゃんに「松本医院」のことを聞きました。
4月6日に、初めて、松本医院に行きました。でも私は、インターネットを見たわけでもなく、何も分からず行ったので、大学病院でもらった紹介状を渡したり、わけの分からないことをしてたと思います。この日、松本先生に、めっちゃ大きな声で怒られました。本当にびっくりして、自分でもどうしていいのか分からなくて、泣きました。怒られていたのは、他の患者さん達にも、すごく聞えていたと思います。
この時、正直「何て、恐い先生なの。」って思ったし、もっと色んな事、思ったと思います。だけど、この日、すごく思ったことがあった。こんなけ自分の事を怒る人は、いなかった。今までの先生は、「リウマチは治らない。」と言う人ばかりだった。だけど松本先生は、私にすごく怒ったけど、最後には「リウマチは治るんだから、絶対治してあげるから。」と言って握手をしてきた。私はこの時、「治るんだ。」っていう言葉が、どれだけ嬉しかったか。
この頃から、飲み慣れない漢方薬を飲むことによって、アトピーが出てきた。恐い先生だなあ〜って思ったけど、頑張ろうっていう気持ちになれた。だけどまだ、自分の病気について、なかなか理解出来ていなかった私は、医院に行かなくなった。実は、話し難いのですが、すごくつらい事が起きました。ご飯も、全く食べられなくなり、体重もどんどん減っていき、約一ヶ月で、10kgもやせました。何もする気がなく、本当に、仕事に行くのもしんどくて、という毎日になってしまいました。松本先生が嫌だからとか、病気の事でこんな状態になったのではなく、本当に、この時は、精神的にもすごくつらかったのです。
日が経つことによって、ご飯も食べられるようになった頃、9月11日に、また松本医院に行きました。約4ヶ月間、全く医院に行きませんでした。それで、また松本先生に、すごく怒られました。この日、正直に言うと、「先生に、何が分かるのよ。私のこと、何が分かるのよ。私がこの約4ヶ月間、どれだけ苦しかったか、今だって、まだつらいんだから。」って、色んな気持ちが胸いっぱいになり、この日も泣きました。だけど、松本先生に怒られることによって、私は、「自分が変わらなきゃ。先生の言っている事、もっとちゃんと理解しなきゃ。頑張って治したい!」って思った。
インターネットをコピーしてもらったりして、リウマチについて、前より色々分かったことが、一杯あった。
H15年(2003年)当時24歳
2月に入って、体中にアトピーが出る。痒いだけじゃなく、体中が痛くて、そんな状態がずっと続きました。夜も眠れなくて、1時間、2時間おきに起きては、薬を塗ったりさすったり、本当につらかった。
こんな状態で、会社にも行ってました。でも痒くて、仕事にならないし、3月には、両目にアトピーが出来、もう本当にこの時期は、本当に、本当につらかったです。そんな中、私は、4月で仕事を辞めることを決めました。5年と1ヶ月働きました。
こんな若い頃からリウマチになり、私の会社では作業が多かったので、ずっと腫れていた右手も左手も、どんどん痛みが増して、関節は熱をもちました。だけど仕事を休むことは出来ないと思い、痛いのも我慢して仕事をしていました。それがだんだんひどくなり、少し動かすだけでも、体中に痛みがくるようになりました。服を着るのも、箸を持つのも痛くて、仕事が終わったと同時に、痛みがどっと出てきて、家に帰った頃には、痛すぎてイライラする毎日でした。この痛みを、会社でもわかってもらうのは、なかなか難しかったです。本当につらかった。夜も眠れず、痛みが残っているままで、また朝が来て、仕事で手を使い、ムリをすることはよくないと思い、気をつけるようにはしていたけれど、仕事はドンドンあるとなると、ムリをする事が増えました。
アトピーが体中に出来たことによって、痛みは、少しましになったかなあ〜?でもアトピーが、こんなにつらいものだとは思わなかった。痒いだけじゃなくて、キレルように痛い。「もう嫌だ。何で、こんな体にならなきゃいけないんだ!」って、笑うことも出来なくなった毎日でした。
だけど、松本医院に行った時に、まだ親に抱かれている赤ちゃんの顔を見た時、顔中に真っ赤なアトピーが出ているのを見た時、「この私でも、これだけつらいのに、まだしゃべれない赤ちゃんは、もっともっとつらいんだろうなあ〜。」って思いました。だから「もっと頑張って、治さなあかんわ。」って思った。だんだん自分の気持ちの中でも、前向きな自分が出てきた。
会社を辞めてからは、手の痛みも、ましになりました。だけどアトピーは、顔に出たりで、本当につらかった。手の腫れも、初めの頃よりはましになったと思います。痛みは、使いすぎると、特に、右手がすごく痛いです。今もこうして書いていると、すごく痛いです。
私は、診察を受ける度に、松本先生に怒られていました。「もっと真剣になりなさい。」「このままやったら、結婚も出来ひんで。」など、色んな事を言われました。本当に悔しかった。「本当に、このままやったらあかん。もっと頑張らなあかん。」って思った。
鍼灸もさぼってばかりやけど、少しずつ頑張ってやるようにした。「もっと、ほんまに頑張らなあかん。」鍼も、初めの頃よりは行ってます。私は、織田先生の色んな話を聞くことによっても、頑張ろうって思った。私が弱っている時でも、色んな話をしてくれて、勇気づけられました。織田先生と話しているだけで、いつも元気が出ました。
私は、今もまだ、顔のアトピーは治っていないし、手の痛みもあります。だけど、検査結果も、だんだん良くなってきています。まだまだ頑張らないとあかんことだらけやけど、松本先生が言ったとおり、漢方薬を飲んでいたら、アトピーも出てきて、自分でも、本当にびっくりしています。今まで知らなかった事を、いっぱい知る事が出来た。まだまだ知らなければならない事、頑張らなあかん事、いっぱいあるけど、頑張ります。
今でも、正直言うと「何で、この年で、リウマチにならなければいけないの。」「私と同じ年の子は、普通なのに、何で・・・・・」「何で、こんなにつらい思いをしなきゃだめなの。」とか、色々思ったりする。だけどリウマチや、アトピーのつらさを知って、色んなことを感じる事が出来た。弱音を吐いてしまうこともたくさんあったりするけど、絶対、頑張って治してみせたい。若くからリウマチになって、やりたいことも出来なかった分、早く治して、また、色んなことを楽しみたいです。
もっと早く、松本医院を知りたかったなあ。まだ完治したわけじゃないから、まずは治す事に、これからも頑張ります。
松本先生、私は、病院の先生を信じる事は、出来ひんねん。いっぱい傷つけて、偉そうなことをゆうて、治そうと心から思ってくれない。治せないと決めつける医者を、信じることは、出来ひんねん。でも松本先生は、違う。「治るんや。治してあげるから。」って言ってくれた。ほんまに、治そうとしてくれる。それだけじゃない。「治るんやあ、だから頑張らなあかんのやあ。」っていう気持ちにさしてくれる。そういう気持ちって、大事やと思う。いっつも松本先生のこと、なかなかちゃんと言うこと聞かないけど、少しずつやけど、頑張ってます。いや、治してこそ、頑張ったことになるのかなあ〜。もっとがんばります。